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カンボジアand日本発「氷の灰皿」

カンボジアand日本発「氷の灰皿」

今まで乗ったクルマ

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けっこういろんなクルマに乗ってきました。
いっそのこと、国産メーカー全制覇をめざそうと思ったくらい。
★1982年から1993年の10年編

最初に乗ったのはダイハツのミラ<1982~>
82年ですね。金がないのでエアコンがつけれませんでした。 それまで会社へは歩いたりタクシーだったり地下鉄だったり してたんですが、クルマがあれば当然、クルマで行きたくな りますよね。 それで、社長に駐車場借りてよ!って飲んだ勢いで言ったら、 本当に借りてくれて、当然、毎日クルマ通勤です。 ほかの社員からいろいろ言われました。
このクルマ軽自動車で550ccパワーは忘れたけどかわゆいクル マです。
この時代、赤のファミリアとミラはドレスアップカ ーの定番でエアロパーツをつけてセンス良く飾るのが流行りましたね。 もち僕は、オーバフエンダーとフロントバンパー、リヤバンパーまで フルセットのトリノキットというエアロパーツをつけ、ホィールはハヤシストリート、 屋根にはサンルーフを付けてもらいました。ボディカラーは特色の黄色。
ベース価格が確か68万円 のクルマにトータル120万円くらいかかった覚えがあります。 でもエアコンはなし。


<1983~>ホンダ
この頃、結婚しまして嫁さんが嫁入り道具に持ってきたのが 当事大人気のホンダ・シティ1200のRだと思ったけど。色はピース紺。ホンダマチックというAT付きなんですね。
なんでも、アイシ ンとワーナーという2社が所有してるATに関する特許をかいく ぐってオートマを作るとこうなるらしいです、当時は。 今、 考えると、原付きの遠心クラッチみたいなもんじゃないかな と思います。
このクルマは嫁さんのクルマという感じで好きなクルマいじりは 出来なかったですね。僅かにフェンダーミラーをドアミラーに 換えたぐらい。


こうして結婚したら同じようなクルマが2台になって嬉しかっ たです。当時、部屋にエアコンがなかたので、このシティが唯 一のエアコンのある空間でした。
夏の夜は夕涼みにこのクルマで外出したものです。よく。


<1987~>再びダイハツ
友人と会社をつくったら、回りも景気がよかったせいか、かな り儲かりました。そこで、足掛け5年のってるミラを買い替えよ うと思い、その時はポルシェでも買えそうでしたが、妙に謙虚 な気持ちになり
「いかん、ここでおごり高ぶってはいかん。」
と考えて同じミラに買い替えました。でも当時最高の性能を誇 る「ミラターボTR-XX」というセリカXXみたいな名前のクルマに 代えました、色は黒。5速マニュアル。 スピードリミッター(当 時は軽が最高速度80km/h制限)をはずしてメーターを振り切っ て飛ばしてました。
でっかいベンツを何気なく先に行かせて、4速フルアクセルで追い越しをかけるのが快感。相手は軽だと思って油断してる、4速でメーターは振り切ってるから、その次の5速ではもう心臓が口から飛び出すくらい緊張しました。その後、ベンツの逆襲に遭うんだけど、これは勝負になりません。追い越し車線をあっさり譲ります。いま、考えても恐い~ことやってたね~。


<1988~>マッダ(フォード)
ぼつぼつ、シティが古くなったので、マッダ系の新しいデーラー 「オートラマ」へ出たばかりのフェスティバを見にいったら、女房が気に入ってその場で注文。 サンルーフつきの2段階調整サスペン ションがついたヤツに。
シティは友人の嫁さんが免許とったばかりだから、譲りました。 そのクルマを渡す時、うちの妻は友人の嫁さんへこう言いました。 「私の嫁入り道具だったから大事にしてよ。」
って。 なら売らなきゃいいのに、変なヤツと僕は思いました。


<1989~>いすゞ
ミラターボTR-XXは快調ですが、ある日タイヤを見たらタイヤのス チールが飛び出すくらいに減ってるんですね。まだ1年しか経っ てないのに。
「こりゃあかん、あぶない。」 と思い次のクルマを検討しだしました。 街の遊撃手ジェミニ。とうCMが印象的で、そのパステルグリーン がすご~くきれいなのでジェミニを買う事にしました。金は心配 ないので、 ジェミニの最高級「ジェミニZZ・ハンドリングbyロータス」というDOHC、135馬力の4ドアを買いました。ボデイカラーもブリテッシュ・グリーンという特別色。
これがまた良く走る。 その時は自転車にも凝ってて、屋根にサイクルキャリーを付けて、 そこに2台自転車(マウンテンバイクとロードレーサー)をくっつ けてよくドライブしましたね。子供と二人で。


<1990~>フォルクスワーゲン
そうこうしてると、嫁さんのフェスティバが飽きてきたんですね。 とりえはサンルーフくらいでなんの面白みもないクルマでしたから。 で、ヤナセの中古車展かなんか見に行って再び嫁さんがゴルフIIを気に入り、衝動注文→即購入ですは。あはは。
GTI風の4ツ目ライトで色は黒。ただし GTIもどきなのでノンパワステ。ハンドルの重い事、重い事。でも このゴルフはやっぱさすがゴルフ。
高速性能がむちゃくちゃ安定してました。コーナーへスムーズに侵 入して、なめらかに抜けていく、ファントゥドライブってこの事か なと実感しました。国産車はやっぱ、まだまだ だなという感じでした ね。


ジェミニはいいクルマなんだけど、いっちゃ悪いけど「いすゞ」の クルマ。 とんでもない事が起きるんですね。たいしたことないけど。
例えば、ウインドウのガラスがガクンとドアの中へ落ちちゃうんだよね。PWのスイッチは動くけど音だけでガラスは出て来ない。駐車場が外だったので新聞紙貼ってその夜は置いときました。一度ならずニ度、三度とそんなことがあるとね、冬の寒空でサイドのガラスが無くなると本当に寒いことも痛感しました。
オートマも当時でも珍しい3速オートマ。4速のオーバードライブがないヤツ。それほど不自由はないけど、高速の巡航はやかましかったですね。
レカロシートにMOMOのステアリング、ツィンカムエンジンと魅力的なスペックに囲まれてるけど、そういった細部のツメが甘いクルマでした。


<1992~>三菱
またまた儲かっちゃってクルマを代える事になり、ジェミニは社用車にしてパジェロ3000スーパーエクシード 買いました。
サンルーフはもちろんオーデオもアルミホイールもなんでもかんでもついてる最高級パジェロ。500万円くらいしたんじゃないかな。このパジェロは本当にいいクルマでした。初代パジェロの最終モデルだから完成度も高く、舗装路、悪路に関係なく安定して走る。 スキーもいった、川を渡ったたりもした。
ほとんど故障しらずで、唯一バッテリーが早くなくなる事があったけど、それ以外はノントラブルでした。室内は広いし排気量も大きいからなんでもできる感じ、ツインエアコンで7人乗り。自転車もリアのスペアタイヤにキャリーをつければ2台ラクラク積める。家族でキャンプに、スキーに、F-1観戦にと大活躍してくれた。
一度、富士スピードウェイへレースを見に行って渋滞の中を御殿場のインターに辿り着き、高速で家へほとんど辿り着く真際に、財布を御殿場インターのレストランンで忘れたことを気付き、電話したら宅急便で送りますといたけど、免許もカードも現金も全部はいってる僕の金庫みたいなもんだから、一念発起!!もう一度Uターン。御殿場までを一日2往復走行距離400km近く走破した訳です。これは疲れた~。 ボデイがでかいのはやっぱ疲れる事がわかった。そんなこんなで我が世の春を謳歌するという感じの時代でしたね。


でもこの頃から景気の下り気味に併せて会社もあまり儲からなくなっ てきた。
<続く>



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